人を見て法を説け

樹陰一話3月タイトル

常日頃、私はみなさんに勇気や希望を与えたいと願っています。未来は自分の心が決めるものですから、心のエネルギーを充満させる存在でありたいのです。なぜなら、かつて夢も希望もなく沈んでいた私が、仏教の「法」によって救われたからです。とはいえ、私とみなさんはそれぞれ別の人間なので、人によっては法が届かないこともあります。そのようなとき、習慣化してしまった心を教化するむずかしさを感じます。
 私がずっとつづけてきた著述や講演活動の目的は、その一点にありました。しかし、相手の気持ちが見えないだけに非常にむずかしい。真意を伝えるためにはズバリと言わなければならないし、言いすぎると相手に不快感を与えるときもあります。
 私がこの『樹陰一話』を書くようになって10年が過ぎました。脱稿するまでに幾度となく推敲を重ねます。朝、手を入れた文章を夕方また書き直すこともあります。ようやく書き上げたと思っても、読み直すと満足できません。編集委員には多大な迷惑をかけていますが、これもみなさんの心に伝えたいメッセージを届けるための迷いです。
 的の中心を狙って矢を射っても外れることがあるように、伝えたいことを相手の心に届けるのは非常にむずかしい。人に説く前に、私自身が救われたい。そんな気持ちが還暦を迎えるころまでありました。それでも年を重ね、ようやくお説法にも著述にも少しは満足を覚えるようになりました。

 お釈迦さまは「人を見て法を説け」とおっしゃっています。
 「法を説く」とは、単に人としての道を説くのではなく「目覚めさせる」ということです。頭ではわかっていながら心が動かない人を目覚めさせる。晴れわたった空のように、あるいは雨上がりの澄みきった空気のように、まずは心の天気、つまり気分を変えさせ、本来あるべき状態へ目覚めさせるために元気を与える言霊を送る。これが「法」です。
 「人を見て」というのは、自分中心ではなく相手の気持ちを中心にすること。「説く」というのは、知識を与えるのではなく、悦ばせるという意味です。人の心に届く言葉遣いができるためには、相手の気持ちを正しく知る必要があります。それによって「慈悲」とか「愛」というものが成立するのです。

 「人を見て法を説く」という具体的な方法として、法華経に「開・示・悟・入」という言葉が書かれています。「開・示・悟・入」には、開仏知見、示仏知見、悟仏知見、道入仏知見の四つがあります。
 お釈迦さまは最正覚という力で人の心を把握されましたが、その知見力のことを仏知見といいます。仏知見によって心を開かせ、示し、悟らせ、道に入れられました。自分の思考や感情の歪みこそ、苦を招く根本です。つまり仏教本来の目的は、癖づいた心を修正させ、物事の正しい見方を養う修行の門に導き入れることにあります。
 たとえお釈迦さまでも、お弟子さんに対していきなり本論を説かれたわけではありません。人は、それぞれに心の癖があります。また、信じられない相手に対して心を閉じます。
 そこで、まず教えを信じさせる(心を開かせる)「開」、そして聞く気にさせるムードづくりをして機が熟したら「示」し、真意を「悟」り実践できるよう、法を説かれました。修行の「道に入る」かどうかを決めるのは本人なので、お弟子さんたちを仏道修行の門の前まで案内されたのです。

 お釈迦さまが説かれた法が具体的にどのような内容であったかはわかりませんが、それは決して教条的な説き方ではなく、時には温かく、時には厳しく、心に目覚めを与えるものだったことでしょう。南方の仏教諸国が用いている原始仏教聖典を開くと、布教の旅先で目に映る光景を指さし、侍者や随身のお弟子さんの心を開きながら法を説かれたと伝えられています。もちろん、時には単刀直入におっしゃることもありました。

 たとえば、お釈迦さまが布教をなさったガンジス川の支流がたくさんある場所で、若い女性が激しい流れが怖くて川を渡れずにいたときのエピソードがあります。お釈迦さまはお弟子さんに命じられます。
 「かわいそうに、あの娘さんを向こう岸まで背負ってあげなさい」
 そこで、お弟子さんがその女性を背負って渡してあげたところ、横でそれを見ていたバラモン教の神官が言いました。
 「仏教徒には〝若い女性に触れてはならない〟という戒律があるのに、あんなことをさせていいのかい? あの弟子はさぞかしいい気持ちだっただろうな」
 すると、お釈迦さまはおっしゃいました。
 「私の弟子は欲望などに心を乱されはしない。背負っていたのはそなたの方ではないのか?」
 「何を馬鹿なことを。わたしがいつ背負ったというのだ!」
 「すでに弟子は女人を向こう岸で下ろした。しかし、そなたは今も気持ちに女人を背負っている。神官の身でありながら、はしたない勘繰りをするものではない!」
 バラモン教の神官は、恐れ入ってそそくさと立ち去りました。

 また、こんなエピソードもあります。買い物客でにぎわう市場の一角に、山鳩の肉を売っている若い猟師がいました。その猟師は次々に山鳩の羽をむしり、包丁で首を落としながら客に呼びかけました。
 「いらっしゃい、いらっしゃい」
 お釈迦さまが残酷なその様子に目を背けられていたところ、猟師が言いました。
 「これは、これは沙門※さま、このような殺生をお見せして申し訳ありませんが、ちょうどいい。ひとつ教えていただけないでしょうか?」
 「何を聞きたい?」
 「地獄というものは本当にあるのでしょうか。そこには鬼がいると聞きますが、それは本当の話でございましょうか?」
 すると、お釈迦さまは脂ぎった猟師の顔を指さしてこうおっしゃいました。
 「鬼はそなたである!」

 人を導くにあたっては、あえてヒューマニストであってはならない場合もあります。ここに挙げた2つの逸話は、人間の邪念や無慈悲を指摘されたエピソードです。このようにお釈迦さまは迎合することなく、相手の行為や言葉の奥にある悪を鋭く突いて、真意をきちんと伝えられていたようです。

 さて、ここで相手に届く言葉遣いについて説明してみましょう。
 私は講演など人前で話す際には、必ず事前に順序と流れを組み立てます。伝えたい結論はすでに表題やテーマとして掲げているので、あとは話の導入、展開、結論をイメージして描いておくのです。その順序と流れを示す、次のような言葉があります。

  京都三条の糸屋の娘
  姉は十六で、妹は十四
  諸国大名、弓矢で殺す
  糸屋の娘は目で殺す

 もちろん、糸屋の娘の話をするわけではありません。これは円滑なスピーチなどの起承転結について示した唄です。話す内容がまとまったら、それを記憶して流れだけ頭に入れ、あとは消去します。ちょうど古家を解体して柱だけにするようなものです。そして本番で組み立てていくのです。これは昔の失敗から学んだ、私なりの知恵です。すべてを原稿にして記憶しても、それに気を奪われたら本番ではかえって邪魔になります。枝葉末節はそぎ落として肚にあらすじだけを残し、聴衆の反応を見ながら話を進めていきます。
 スピーチはとくに出だしが肝心です。最初が堅苦しいと聞き手は興味を失い、居眠りや退屈な気持ちにさせてしまうので、まずは身近な話題で導入の空気をつくります。展開としては聞き手の心を開くムードづくりから入り、次第に少し背伸びをすれば届くくらいの生活に直結した内容を話すことにしています。
 話は真意が伝わることが原則であり、聞き手に届かなければ意味がありません。こうした工夫を心がけるようになってから、どうにか人さまが私の話に耳を傾けてくださるようになりました。

 私がもっとも大切にしているのは、悩み相談への対応です。これは「人を見て法を説け」を実践する真剣勝負の現場であり、最大限の配慮をします。私たち僧侶の指導次第で相手の人生が大きく変わりかねないので、悩みを十分に聴いた上で相談者の願いが叶えられるよう、仏・菩薩・諸天善神にご守護を祈ります。その後は、心が軽くなるような話をします。
 「人を見て法を説け」というのは、平たくいうと元気を与えるということです。人は無常の世を生きる旅人のようなもの。苦悩し、葛藤を抱えて生きる人々の気持ちを汲み取り、希望の道を歩ませたいという気持ちが何より大切です。相手の悩みを簡単に受け止めたり、借りてきたような言葉で粗雑に対応したりしてはなりません。悩み相談への対応は、私たち僧侶にとって自分の慈悲と知恵を高めていく修行の場なのです。

 一本のローソクでも、暗い部屋を照らし出します。一人ひとりの希望の光もたくさん集まれば国を照らし出します。そう信じて、眼前の一人を救い出す勤めを、本宗の宗祖は「如来聖業」と名づけられました。人と共に生きようとするとき、「人を見て法を説け」という言葉は、私たちにとって金字塔となっています。

みずすまし52号(令和4年3月3日発行)

みずすまし52号表紙

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