6年の難行苦行

お釈迦さまがまだ王子であったころの住まいは「カピラ」と呼ばれる王宮である。現在、王宮があったとされる場所は、インドとネパールの間で政治がらみの論争がつづいており、インドはピプラーワー、ネパールはティラウラコットという場所を主張している。私はティラウラコット説を支持しているが、あくまでも直感であって根拠はない。世界の仏教学界も学術的な裏付けによる最終結論を出してはいない。

 王子・シッダールタは王宮を抜け出して東南方面に向かい、マッラーという国を通過し、ガンジス川を渡って当時インド最大の国であったマガダ国の都城・王舎城という街に入ったようである。霊鷲山から見下ろしたこの地は、今ではマンゴーの林で覆い尽くされているが、当時は王宮を中心に山麓にかけて賑やかな街の光景が広がっていたのだろう。彼は街じゅうの路地を彷徨うようにして自分の悩みを解決してくれそうな師を探したようである。
 そのころ、出家者が悟りをひらくための修行としてふたつの行があった。ひとつは「禅定行」、もうひとつは「苦行」である。まず、彼は禅定行を教えてくれる仙人の弟子になった。最初は「無所有所」という境地を教えていたアーラーラ・カーラーマ、その次には「非想非非想処」という境地を教えていたウッダカ・ラーマプッタという仙人の門を叩いた。このふたりの仙人が何者であったかはわからないが、このふたつの境地はシッダールタが求めていた悟りへ到達できるものではなかった。ほどなくして彼はふたりの仙人のもとを去っている。

 やがて彼は、尼連禅河の横に広がっていた「苦行林」と呼ばれる場所に入った。ウルヴェーラーと呼ばれるこの場所は、雨季になると洪水のため浸水した。そのときは近くにそびえる前正覚山に移った。私はこの山に登ったことがあるが、修行者が掘ったという山腹の石室は、夕陽を受けてサウナのように蒸し暑かった。
 苦行林は比較的平野であったが、過酷な修行の果てに絶命する者が多く、林にはバラモン修行者の骸骨が散らばっていた。義母のマハーパジャーパティーは大変悲しんでいる。

 「おお太子よ。あなたの身には、いつも栴檀の粉をふりかけて、美しくみがいてあげていたのに、いまは山野に伏して、蚊や虻にさされているのか。上等の着物のほかには身につけたことのないあなたが、いまどんな粗末なものを着ていることであろうか。より抜きのご馳走を並べていたのに、いまはどんなひどいものを食べていることであろうか。蒲団といい、夜具といい、あれほど柔らかいものずくめであったのに、いまは茨のあいだに臥していることであろうか。あれほど多くの美女に取りかこまれて暮らしていたあなたが、いまは山林で、ひとり寂しく住んでいるのであろうか」      (渡辺照宏『釈尊をめぐる女性たち』より)

 苦行林に入った彼は他の修行者と会話をせず、草や木の実を食べ、それを少しずつ減らして、終いには断食状態になった。昼は焼け付くような太陽の直射の下で、夕方は閉め切られた蒸し上がるような岩屋の庵の中で呼吸を止めることを修行とした。深夜には、肉に飢えた野獣が徘徊する場所に坐って微動だにしない境地をつくった。冬は凍てつく川で沐浴した。
 苦行は飢餓と死への恐怖の戦いであった。筋肉は落ち、体はしわだらけになり、目はくぼみ、皮膚は荒れて黒ずみ、骨や筋や血管の一本一本がはっきりわかるまでになった。体についた苔を食べる虫が這い回っても振り払う力もなく、衰えてしまった筋力で立ち上がることさえできなくなった。そして、次のように結論づけた。
 「世の中には多くの修行者がいる。しかし、およそこの私以上の苦行を重ねた者はいない。それでも悟りを得ることができなかった。この修行法では悟りに到達することは不可能である」
 決然として立ち上がった彼は苦行と決別することにして、尼連禅河のほうに少しずつ歩みはじめた。すでに苦行林に入ってから6年の歳月が流れていた。彼は川岸で体を清めたが、心身は弱りきり、疲れ切っていた。筋力のない足は水にすくわれ、あとわずかで流されてしまうところだった。
 ようやく岸から上がり、近くの大木にもたれかかっていると、ひとりの娘が近づいてきた。聞けば、安産の願いがかなったお礼に、極上の乳粥を大木に捧げにやって来たという。娘は疲れ果てたシッダールタを見てかわいそうに思い、その乳粥を差し出した。シッダールタは滋養にあふれ、心を込めてつくられた乳粥をゆっくり口にした。
 この様子を5人の修行僧が見ていた。父のシュッドダーナ王から、密かに王子を見守るよう派遣されていた男たちだった。彼らはひどく失望した。なぜなら6年もの間、王子が悟りをひらくことを期待し、辛抱していたからだ。5人は乳粥を食べたシッダールタに脱落者、破戒者というレッテルを貼り、どこかへ行ってしまった。

 シッダールタは尼連禅河を渡り、ガヤーという場所に立つ1本の菩提樹のもとに草を敷くと、静かに瞑想に入った。こんどは朝夕の食事をとり、夜は眠り、心身のバランスをとった上で再挑戦する修行であった。
 「悟りをひらくまで、私は決してこの座を去らない」
 彼は断固たる決意をし、足を結跏趺坐して禅定行に入った。すると、ナムチという魔王が天から絶世の美女3人を地上に派遣した。実はこのナムチ、シッダールタが王宮を出たときからずっと邪魔をしていた。彼に悟りをひらかれると自分の居場所がなくなるからだ。欲情を煽ることで修行を諦めさせ、王宮に帰そうとした。しかし、シッダールタは冷たく、静かにきっぱりと言い放った。
 「不浄で、醜いおまえたちの手になど乗らない」
 3人の美女が一撃のもとに退けられると、次に魔王は全軍を率いて岩の雨、剣の雨、火の雨を降らせ、醜い化け物が、魂を惑乱の闇で覆い尽くすような大攻撃をかけた。大地を揺るがすような激しい戦いだったが、勝負はあっけなくついた。軍勢はすべて打ち破られ、魔王の姿も消えた。

 日が暮れると、さわやかな風がシッダールタの頬をなでた。しかし、彼はそんな感傷にも耽らず、いっそう深い瞑想によって、心を鏡のように研ぎ澄ませつづけた。
 心が完全に清浄で、不動の境地に至ったとき、彼は虚空に引き上げられた感覚になり、自分が解脱したことを証得した。そのとき、彼の心の視空間に全宇宙のあらゆる生き物の生涯が映った。生まれては死に、死んでは生まれ、人間が車輪のように輪廻転生する姿。それは、この世の有情が苦の世界へ、再生を繰り返す光景であった。

 「なんということだろう。これらのいのちを、いったい誰がつくったのか」
 シッダールタは王宮にいたころ、過去に悟りをひらいたというバラモンの聖者たちの話を噂に聞いていた。彼らは時間を円と考え、過去に起こったことは、業によって現在にも未来にも起こり得るという見解に立っていた。過去から現在、未来へと直線的に流れていく時間の中で、業によって人間は流転するというのである。シッダールタはそのことを体感した。ただし、これはまだ悟りというべきものではない。そしてシッダールタはふたたび菩提樹の下で、いのちについて深い瞑想に入っていった。

まど3号(令和5年6月3日発行)

まど3号表紙

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