ひびき合う心

単独で存在しているものは何もない。
たしかに個として存在はしているが、
そこには無数の因縁が隠れている。
あの雲と雨も、森と河も、
物と人間もつながりながら生きている。
「合掌」という形式は、
「因果の法」に起こる調和の象徴である。
この自然の摂理に従って、
人を思いやる「慈悲」をブッダは教えられた。

思いやりの心は犬にもある。
あの東日本大震災のとき白い犬が何かを訴えていた。
報道カメラマンが付いて行くと、
茶色の犬が息も絶え絶えの姿で斃れていた。
「友だちを助けてほしい」
そんなサインだった。
犬にさえも友を失う悲しみがある。

身近な人を思いやる心は誰もが持ち合わせているが、
少し広く、人間同胞としての共感の情もある。
交通事故で二人の園児が亡くなった。
事故の場所に花束を供え、
手を合わせている人がいた。
「思い出すと、可哀想でつらい」
そう涙声で語っていた。
他人の悲しみを自分の悲しみにすることはむずかしい。
でも、人の親なら他人事には思えない。
悲しみへの共感の情は親疎を超えて人間性の原点といってよい。

仏教の声明や御詠歌。
キリスト教のレクイエムや賛美歌。
あるいはイスラム教のコーランの詠唱には
悲しげな旋律がながれている。
これは「悲」と「苦」の軽減のために
宗教が起こったことを物語っている。
宗派の厚化粧に塗り込められている向きもあるが、
宗教の根本は悲と苦からの救いなのである。

みんな自分自身のことで精いっぱい。
苦しい仕事も食べていくために辛抱する。
でも、最初は生活の手段だった仕事も、
人を喜ばす喜びに変わっていく。
貧しい家庭の子どもたちのほとんどが
大人になったら人から喜ばれる仕事をしたいと語る。
人のためになろうとする心は、
神が植え込んだ仕組みかもしれない。
人間を創造するにあたって、
神はひびき合う心を注入したにちがいない。

いま、自由と人権の尊厳が社会のメジャーとなった。
個を大切にする時代になった。
震災や災害に見舞われた被災者のために、
みんながつながり合った。
「個」と「連帯」は矛盾しているように見えて、
人間の根源には同胞としての共感の情がある。
つながることはできる。
つながり合うことは真理なのである。

ブッダは説かれている。
「己を愛する者は、他を害すべからず」
この自他平等の精神は
悲と苦と痛を分かち合う心を教えていると思う。
むずかしく考える必要はない。
苦しいときは遠慮をしないで誰かに相談してみる。
助けてあげることはできなくても、
苦しみに傾聴するだけでもいい。

「情けは人のためならず」という。
この古言を間違って解釈する人もいる。
正しいのは、
情けは人のためになるだけではなく、
自分自身のためになるという解釈である。
他者への情愛を大切にすればいつか我が身にも返ってくる。
情は自分を孤独にさせない。
与えた心が喜びとなって自分自身を救う。
ひびき合う心が人生を豊かにし、
希望の社会を未来に紡いでいくと信じている。

みずすまし42号(令和1年9月3日発行)

みずすまし42号表紙

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