大きく感謝する心がけ

ありがたいことに、私の寺にはさまざまな供物があがる。
「これはどなたから?」
「○○○○さんからです」
まず私は、謹み深く神仏にお供えをするよう係に伝える。
お供えの仕方にはきちんとした決まりがある。
野菜を例にとると、
地上に芽吹く葉もの、根につく根もの、上から下がる実もの、
自然そのままの形で三方に盛り
真心を込めて奉納し、鐘を打って、祈る。
「供養施主・○○○○、この功徳を以て心願満足ならしめたまへ」
お供えは「三宝給仕」といって、
仏法僧に対する大切なお仕えであると同時に、
施主の真心を神仏に伝える大切な修行でもある。
また、お供えを最後にいただくのは私たち。
決して粗末にしたり、無駄にしたりしないよう、
食事係には保存の仕方、料り方をアドバイスすることもある。
翌朝のミーティングでは全員に伝える。
「今度、○○○○さんにお会いしたときはお礼の言葉を忘れないように」

私の寺では食事の作法を重んじている。いただく前には合掌して
「食法肝文※」を唱え、まずお茶をいただく。
湯飲みを口より少し高く上げ、
神仏や御先祖に念じた後でいただく。
いや、お作法というより、感謝の大切さを伝えたいのだ。

自分が生きる場には多くの人の支えがある。
戦後七十五年が過ぎた。
終戦直後は食べることもままならない時代だった。
隣近所で味噌や醤油を貸し借りした。
貧しかったからこそ、
助けたり、助けられたりする文化が生まれた。
今、どこに行っても所狭しと食材がならんでいる。
こんなことを言えば、
「時代がちがう!」
と相手にされないかもしれない。
しかし、かくして、
「あの人には良くしてあげても同じ」
「小さな親切、大きなお世話」
と隙間風が吹き込む社会になってはいないか。
この七十五年という期間
私たちは長い時間をかけて、
感謝の心を埋没させてしまったのではないだろうか。

私は幼いころから
寝食を惜しんで人の悩みに
耳を傾ける父の姿を眺めてきた。
貧しい人に供物を分けてあげたり、
お金を貸すことさえあった。
しかしそんな父の親切を受けても
なんとも思わない人もいた
私が腹を立てると、
「そんなに言うな」と父は私を律した。
そこから哲学のようなものを学んだ気がする。

「その人のことを想って精いっぱいしてあげても、
小さくしか伝わらない。あんなにしてあげたのにと腹が立つ。
だから、人からしてもらったことが
小さなことのように見えても、大きく感謝してちょうどいい」

私も父の教えがしんみり理解できる年齢になった。
それ以来、小さな親切も大きな真心から出たものと思い、
感謝とねぎらいの言葉かけを心がけることにした。
「甘くておいしかったよ。
どのように手入れをなさっているの?」
相手の思いやりの気持ちを想像すれば、
さわやかな会話に花が咲く。
自分にとっては小さなことでも、
立場を変えれば思いの深さがわかる。
大きく感謝できる人は豊かな人格者である。
感謝の有無が自己の運命を決めることもある。
もう今年も最後。
この激動の一年をゆっくり振り返ってみたい。

みずすまし47号(令和2年12月3日発行)

みずすまし47号表紙

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