今日は雨。
書斎の窓を開けると緑の中に、
エゴの花とやまぼうしの白い花が風に揺れている。
エゴの花はうつむき加減、
やまぼうしの四枚の花弁は、
羽を広げて空を舞う天使のように見える。
横の白いエゴの花は地面に散ってしまったけれど、
「わたしはもう少し咲いているわ」
やまぼうしの声が聞こえて来るようだ。
いつ散るかもしれない運命というのに、
精いっぱいに生きる健気(けな げ)さがいい。
わたしたちは花の形を視覚的に見る。
しかし、それを美しいと思うのは意識のはたらき。
形をとおして奥にある「気」を観じているのである。
うつむき加減であろうと、
はつらつと光に向かおうと、
ありのままに咲く姿は美しい。
人間には裏も表もあって、
花のようにはいかないけれど、
できればあるがままに生きていけたらいい。
仏教に「如実(にょ じつ)」という言葉がある。
この如実は飾りを捨てた境地のことだ。
格好をつけない、
気取らない、
威張らない、
ありのままであれば、ことばも自然に出る。
気楽にものも言えるし会話もなめらかに流れる。
鎧(よろい)や兜(かぶと)を脱いで裸になれば楽。
立派な自分を見せたところで疲れが残るだけ。
釈尊は苦行から離れられたとき周囲から罵(ののし)られた。
「この破戒(は かい)者め」
「根性がない奴だ」
でも、自分の気持ちに素直になられた。
軽蔑(けい べつ)されたくない、
弱点をさらけ出したくないという気持ちは虚飾である。
ルンビニーで生まれたとき、
釈尊は七歩を歩んで、
右手で天を、左手で地を指さして言われた。
「天上天下(てん じょう てん げ) 唯我独尊(ゆい が どく そん)」
これはおごりの言葉ではなく、
この世に生まれた、ただ一人の自分は、
かけがえのない存在であるという意味だ。
自分を尊ぶということは、
甘やかす、わがままとは意味がちがう。
自分をいじめない、
傷つけないということだけでもない。
自分のことがかわいいなら、
他人も自分のことがかわいいはず。
自分を尊ぶということは、
他を尊ぶということなのである。
「生まれて来なければよかった」
「死にたい」
こんな悲しい言葉を聞くことがある。
シェイクスピアの『ハムレット』という戯曲にある言葉。
「To be, or not to be」
苦悩を抱え生きていく方がいいのか、
死を選ぶ方がいいのか、
シェイクスピアのジレンマを表している。
歳をとって死ぬか、
途中で自殺するか、
いずれにせよ、人間は死ぬまで生きる。
どうせ生きるなら、
あるがままに、恥じない心で生ききりたい。
どんな花もかわいい。
どんな人間も美しい。
悩みを抱えながらも、
精いっぱいに頑張っている気持ちを、
大切に受け止めてあげたい。
みずすまし37号(平成30年6月3日発行)
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