ある日、寺で夫婦関係についての勉強会をひらいた。
「みなさんの中で夫婦喧嘩をしたことがない人、いる?」
「ハアーイ」
ある四十代の女性が手を上げた。
「うちの主人はやさしいんです」
「どんなふうに?」
「会社に行くときはキスしてくれます」
「結婚して何年?」
「ええっと、十八年ですかね」
「まだ、そんなことやってんの」
「私のことが好きでたまらないようです」
「まっ、人の好みはさまざまだからねえ」
一同爆笑。
別の女性が手を上げた。
「私もしばらく喧嘩していません」
「おっ、その秘訣は?」
「話をしないことです」
ふたたび爆笑。
ラインでコミュニケーションをとっている若者もいた。
「ラインならサクッと送信できて手軽ですよ」
「ケータイじゃ気持ちが通じないでしょ」
「妻はいつもスマホいじくっているんでそっちが早いです。
それにスタンプがあるんで……」
昭和前期生まれの女性たちが横でひそひそ話。
「スタンプってなんのこと?」
「何か集めたらプレゼントをもらえるってことじゃない?」
時代は変わってきた。
離婚を考えている女性もいた。
「いまさら、別れてもねえ」
「どうしたらうまくいくんでしょうか?」
「うーん、互いのカンシャなんだけどな」
「でも、うちの主人はカンシャクばかり……」
「一心同体になれたらいいけどね。
お釈迦様は一体不二とおっしゃっています。
夫婦は輪ゴムのようなものです。
先もなければ終わりもない輪ゴムなんです」
「輪ゴムって何のことですか?」
「良いことも悪いことも互いの心が原因だから、
切り離せないということです」
ふたたび横でひそひそ話をして笑い合う女性。
「なにが、おかしいの?」
「いえ、この人がご主人のことを、
もう弾力性がない輪ゴムって笑うもんですから……」
「まじめな話をしているんだからまじめに聞きなさい」
しかし、たしかに対話がない夫婦は弾力性がない輪ゴム。
「ええっと、そっちの経年劣化の人は」
「うちはお酒さえ呑まなければ、ですね」
「もう、年季が入っているから止めてもダメかもね。
でも、火葬場ではよく燃えるでしょう」
少しまじめに考えてみよう。
夫婦円満であるためには誠実であること。
隠し事はしないこと。
ありがとう、ごめんねの会話。
最初からこれで行こう。
ボタンのかけちがいは死ぬまでつづく。
「おまえがいらつかせるからいけないんだ」
「先に、あんたの言い方がむかついたのよ」
「いや、おまえの言い方が先だ」
「何言ってんの。自分のこと棚に上げて」
「いや、おまえこそ二階に上げてる!」
「ウルサイ!二人とも」
こうして子どもから嫌われる。
おれはまちがっていない。
おまえがわるい。
わたしは正しい。
あんたがおかしい。
とげとげしい対立はちぎれた輪ゴム。
お釈迦様は説いておられる。
「幡蓋を見て車を知り、煙を見て則ち火を知り、
王を見て国土を知り、夫を見てその妻を知るなり」
これは弟子の質問に答えられたこと。
「どうやって車を知るのですか?」
お釈迦様は幡蓋を見よ、と答えられた。
「どうやって火を知るのですか?」
煙を見ればわかる、と教えられた。
「どうして国のことがわかるのですか?」
王を見ればわかる、と教えられた。
「どうして妻のことがわかるのですか?」
夫を見ればわかる、と答えられた。
わざわざ遠回りな言い方だが、
物事の底には一切が繋がりあっているということ。
夫だけが良くて妻だけが悪いということはない。
妻だけが良くて夫だけが悪いということはない。
互いに責任のなすり合いではうまくいかない。
わがままがいけなかった。
「ごめんね。あなたの気持ちがわからなくて」
「いや、おれも言いすぎてごめん」
夫婦に理屈は無用。
互いに一歩引く。
譲り合う。
それがなければ経年劣化の輪ゴム。
時代が変わって今は夫婦個別化。
それで幸せなら言うことはない。
念のために……。
「双翼」という鳥がいるらしい。
身体が一つに、頭が二つ、羽が一対。
したがって話し合いながら飛ぶとか。
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