余生を輝かせたい

「あすありと思う心のあだ桜 夜わに嵐の吹かぬものかは」
(この世は無常であるから、今を盛りと咲く桜が
夜中の嵐で散ってしまうかもしれないように、
わたしの命もいつなくなってしまうかわからないので、
どうか、今ここで得度の儀式を執り行ってください)

これは親鸞が松若丸と呼ばれていた九歳のときに詠んだ歌である。
師匠の慈円和尚はすぐに得度の手配をしたという。
かつての日本には人の世の諸行無常の思想があったから、
一瞬、一瞬に命を懸ける真剣さがみなぎっていた。
このたびの大震災でわたしたちは
つくづくと老幼不定の運命を思い知らされた。
老いた者が先に逝くのか、若い者が先になるのか、
まったく明日がわからない人生であることを悟った。

昔は人生五十年といわれた。
一九四七年まで日本人の平均寿命は五十歳であったという。
五十歳は死を意識する大きな節目であったといってよい。
織田信長は五十歳にして本能寺で討たれた。
豊臣秀吉は五十歳にして太政大臣になり、
徳川家康は少し遅く、
五十八歳で関ヶ原の戦いに勝利している。

今は人生八十年の時代だから、
現代は三十年の余生を手に入れたことになる。
おぎゃーっと生まれた子が三十歳になるまでの時間帯だから、
この期間は長い。
いつからが余生なのか――、
ふつうは定年退職の六十歳を節目に考えるだろう。
けれども、六十歳から新しい事業を起こす人もいる。
資金のこと、年齢のこと、いろいろな不安もあるだろうが、
彼らはそれまでの仕事で培った体験とスキルと人脈を活かして、
もう一度、人生に勝負を賭けるのである。
彼らには余生などという感傷的な気持ちはないのだろう。
願わくば、この三十年は積極的でありたい。
過去のイヤな思い出を引きずって生きたくはないし、
未来の不安にしばられる生き方もナンセンスかもしれない。
病気や老後の不安も、
成るようにしかならないと開き直れば楽になれる。
時は今、場所は足もと。
この確かな現実から一歩がはじまる。
老いるにつれてスピードが速くなっていくから、
今を大切にして積極的に明るく生きていきたいものだ。

人によって余生にはさまざまな選択があるが、
ほとんどが忍の一文字で、
家族や仕事のためにがんばってきたのだから、
あとの人生は好きなことをして過ごしても一向にかまわない。
ただ、わたしは六十歳以降が人生を決めるのではないかと思う。
それは仕事で成功するということよりも
もっと精神的な意味での幸福感である。
要するに、七十歳、八十歳を過ぎたとき、
どれほど多くの笑顔が思い起こされるか、
それが自分の人生における満足感につながるのではないだろうか。
無為に過ごせば、
働くだけの人生で終わってしまうような気がする。
好きなことややりたいことをやればいいかもしれないが、
六十歳で一度死んだと考え、
生まれ変わったつもりで悔いない道を歩むことはできないだろうか。

世の中にはずいぶん勇気ある人々がいる。
ミャンマーで、子どもたちの治療に身を挺している吉岡秀人さん。
アフガニスタンで旱魃と闘い、用水路を拓いている医師の中村哲さん。
ネパールの秘境の村で農業指導に当たっている近藤亨さん。
彼らは人生のすべてを懸けているようである。

吉岡秀人さんは現在四十六歳だが、
大学卒業後、大阪、神奈川の救急病院などで勤務し、
二年間ミャンマーで活動したのち、しばらく日本にもどり、
三十八歳のときからミャンマーで医療活動を再開し
無償無給で幼い命を救いつづけている。
「ここでこうしていることが僕の幸せに直結する」
今も揺るがぬ信念をもって子どもたちと向き合っている。
中村哲さんは六十四歳だが、国内病院勤務ののち、
三十八歳のときパキスタンのペシャワール地方に赴任。
今はアフガニスタンに拠点を移して活動をつづけている。
彼は医療活動をしながら井戸を掘ったり、水路を引いたり、
超大国の力の驕りに振り回される二十一世紀の時代に
異なる文明や文化に属する人々が共存していく指針を与えている。

農業技術員の近藤さんは現在九十歳だが、
七十歳のときにネパールの奥地ムスタンへ単身で乗り込んだ。
「白い米を腹いっぱい食べさせてやりたい」
何年もの失敗のあと、不可能といわれた不毛の土地での稲作に成功し、
貧しかったムスタンの人々にそのすばらしい農業技術と成果を提供した。
ムスタンは、ヒマラヤのふもと、標高約三千メートルに位置するところで、
冬はマイナス四十度にもなり、台風なみの強風が吹き付け、
植物もまばらにしか生えてこない僻地。
ネパール政府から半ば見放されてきた状況にあった中で、
貧しい村の人たちにおいしい米を食べさせてあげたいと願い、
周囲の反対を押し切って単身乗り込み、稲作に挑戦した。
雪解け水の冷たさ、不毛の大地、
強風や過酷な寒さなどで何度も失敗がつづいたが、
あきらめずに数々の工夫を凝らすことなどによって、
四年目にしてようやく奇跡を起こした。
彼はムスタンの人々から「神さま」と敬れている。
吉岡秀人さんと中村哲さんは三十八歳で、
近藤さんは七十歳を節目に生き方を変えた。
彼らには価値あるものの前に命を捨てる覚悟がある。
日本にいれば保障されているはずの生活を振り切り、
損得勘定や地位名声の類を抜きにして人と共に泣き笑っている。
次の世代や未来のためにがんばっているのだから立派な人々だ。

ただ、ほとんどの人は家族のことを案じて、そんな大きなことはできない。
自分が属するコミュニティのサポートやボランティア活動をしたり、
歌を詠んだり、登山をしたり、園芸を楽しんだり、
郷土史を学んだり、旅行をしたり、自分の趣味に生きるのが現実。
けれども、そうした人々の中にも何か共通するものがある。
それは魂の喜びを獲得したいという衝動である。
魂の喜び――、それは生まれる前から持ち合わせた念願であろう。
自分を具現したいという熱い感情であろうが、
自分自身のためだけではなく、
人と共に生きようとする願いがある。
人は自分のためだけにはがんばれないが、人のためならがんばれる。

人のこころには、
人の喜びが自分の喜びに変わるマジックのようなものがある。
自分のためにうたう歌手、自分のために弾くミュージシャン、
自分のためにプレーするスポーツマン。
最初は食べていく手段だったはずの仕事がファンを励まし、
勇気や感動を与えることがあるのである。
自分のためというナチュラルな気持ちの中にも
人の役に立つ要素があるのである。
彼らは人のためにすることが自分の喜びに通じることを知って、
自分自身にますます磨きをかけていくのである。
ボランティアにしても笑顔を見て、
喜んでくれる姿を見て自分が嬉しいからそうするのである。
当たり前のことをしただけなのに、
「ありがとう」と言葉が返ってくる喜び。
困っている人にやり方を教えてあげただけなのに、
「たすかったよ」と感謝される喜び。
人の喜びを自分の喜びとする感情は、
人間生命の根源である宇宙から魂に刻まれたものではないだろうか。

釈尊の教えに、「無財の七施」というものがある。
和やかな笑顔の「和顔施」。
慈しみの言葉の「愛語施」。
心づかいの「心慮施」。
人を温かく見守る「慈眼施」。
人のために尽くす「捨身施」。
部屋を提供する「房舎施」。
席をゆずる「床座施」。
貧しくても、病気になっても、
人を喜ばせることはできる。
思いやりや優しさは足腰が衰えても人に施すことはできる。
大きなことはできなくても
できる範囲で人が喜んでくれることをしてみたい。
そうすれば、ずっと余生は輝く日々となるだろう。

年を取ると、もう若くはないからと言うけれど、
若さは、若い者のみの特権ではない。
青春は、青年だけの時期にあるのではない。
優れたものを創造しようとする燃える情熱、
興味あるものを掘り下げていく探求心、
全力を傾ける限りにおいて若さは失われない。
肉体の老化は問題ではない。
悲しいことは無為に、老いに沈んで命を終えることだ。
身近な人々のために何ができるか。
老春の血をたぎらせ、この一瞬に行動力をもって臨もうではないか。
人間、いつかは死ぬ腹を決めるときがやって来る。
八十歳まで生きられたら、いい人生の引き際だ。
周囲に迷惑をかけたくないと思っていても、
認知症、寝たきり、長患いなど不如意な晩年になることもある。
けれども、老いさらばえて世話をかけるとき、
はじめて人間は周囲の思いやりに涙する。
わがままだったり、人を傷つけたりした過去を反省し、
このときからこころの浄化がはじまる。
「ありがとう」
「いつも世話をかけてごめんね」
詫びなければ、感謝しなければ人は死ねないのだ。
この言葉が人を救い、自分のこころを軽くする。
やがて宙へ昇るまでは人生反省の旅となる。
余生は寛容な成熟のために準備されているのだ。

 

みずすまし11号(平成23年12月3日発行)

 

みずすまし11号表紙

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