正法事門法華宗

生きるということ

 東日本大震災で被災した読者から手紙が届いた。
 「なぜ、母は死なねばならなかったのでしょうか。
 母の宿命だったのでしょうか」
 深い悲しみに接して、
 癒してあげる言葉が見つからなかった。
 しばらくして筆を執った。
 「お母さまは、あなたの幸せだけを
 願って逝かれたと思うのです。
 いま、あなたの前には
 無限の夢の海原が広がっています。
 一日も早く黒の喪章をはずして、
 真っ白い帆をかかげてください。
 お母さまの分まで漕ぎ出すのです」

 この春、高校三年生になった彼女は、
 大学進学を断念して就活することに決めた。
 苦悩の末の決断だった。
 「もう泣きません。
 泣くと母も泣いているように思えてつらいのです。
 けれど不安もあります。
 わたしは、どんな仕事がいいのでしょうか」
 ふたたび手紙が届いた。
 「どうせやるなら、好きな仕事をしなさい。
 やってみたいと思うことをやった方がいいですよ。
 こんな仕事をしてみたいと思うのは、
 これをしなさいという神さまからの
 メッセージなのです」
 そう便りを送った。
 好きな仕事なら少々の辛抱もできる。
 嫌いな仕事の上につらいことが重なると、
 生きている意味すら感じなくなることもある。
 
 高校を卒業して
 夢のような仕事に就いたとしても
 まだ二十歳そこそこなのだから、
 いろいろな苦しみが襲ってくるだろう。
 いろいろと技術を高め、
 資格をとり、
 夢の階を上ろうとしても、
 社会で生きていくということは容易ではない。
 無視されたり、
 いじめられたり、
 価値観のちがいに悩んだり、
 足の引っ張り合いに苦しむこともある。
 好きな人と結婚をして、
 幸せな家庭を築いたとしても、
 家族関係の悩みはつきまとう。
 楽しいこともたくさんあるけれど、
 「禍福はあざなえる縄」というように、
 不幸と幸福は代わる代わるおとずれる。
 生きるということは、
 この変化にうまく対応することだ。
 
 釈尊は、人生は苦であると教えられている。
 苦であると言い切っておられるところが
 すばらしいと思う。
 苦しいからこそ、
 人は他者の苦しみを見捨てられず、
 どうにかして支えてあげたいと思う。
 孤独が愛を教え、
 社会の厳しさが根性を鍛え、知恵をもたらす。
 その困難をこころのバネとして
 飛躍する人も生まれてくる。

 豊かな家庭に恵まれ、
 楽に生活できる状態にあった平凡な女性が、
 ひとたび親の家業が失敗し、
 自力で立たねばならない苦境に置かれてから、
 起業家として成功した実例がある。
 肢体が不自由になった人が
 詩画の才能を発揮したり、
 耳や脳に障害を持つ人が
 有能な音楽家となった事例もある。

 アコヤ貝は異物が混入したり、
 傷を受けることによって、
 美しい輝きをもった真珠をつくる。
 ひび割れたコンクリートの裂け目から
 小さな花が顔をのぞかせるように、
 暗い不幸の裂け目から、
 すばらしい人生が芽吹くこともある。 
 苦しみは人を成長させる。
 戦う勇気が人間を進化させていくのだ。

 花は空へ向かい、
 星は天にさざめき、
 月は地上を照らす。
 人は何を求めて生きるべきか。
 それは財でもなければ地位でもない。
 額に汗して働き、
 家族を愛し、
 友を愛し、
 自分もまた人間的に向上していくことにある。
 小さな自分、
 弱い自分に打ち勝つ力を求めて生きるのだ。
 こころが折れそうになったときは、
 逃げることや、
 しゃがみ込むことも仕方がない。
 人生は我慢大会ではないのだから、
 自分なりに生き方の選択をしてもよい。
 ただ、自分を省みる時間だけは持ちたい。
 いろいろな局面で苦しんだり、
 悩んだりするのは性格の問題ではなく、
 考え方の癖がそうさせていることがわかる。
 癖だから直すことはできる。
 自分の癖に気づいたからといって、
 すぐに直さなければならないというものではなく、
 「こういう癖がある」と知るだけでもいい。
 自分の癖を自覚すれば、
 イヤな気もちになったときには、
 「またこの癖が出たなあ」と気づきやすくなる。
 その積み重ねによって、
 暗い気分もけっこう晴らすことができる。
 人生は早いのだから、
 わたしたちには
 自己の悪法に金縛りになっている暇はない。
 小さく狭い世界から飛翔し、
 能力を高め、知恵をみがき、
 内在する無限の可能性に挑戦するのだ。
 釈尊は、

   心は奮い立ち、励みつつしみて、
   己を整えるもの、かかる賢き人こそ
   暴流も侵すべきなき、心の島をつくるべし

 と語っておられる。
 荒れ狂う大河を治めるよりもむずかしいのがこころ。
 一生懸命、仕事に取り組みながら、
 自分を整えていく人こそが、
 ほんとうに賢い人であるということ。
 その意味では
 社会こそが己を研磨する修行道場なのである。
 幸せが充実感と達成感にあるとするなら、
 苦の試練に打ち勝ち、
 本当のよろこびを蓄積していきたい。
 若山牧水が、

   幾山河 越えさり行かば 寂しさの
   はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく

 と歌っているように、
 人は幾重にも連なる苦の山脈を越え、
 いつ果てるともない彷徨の旅をつづけている。
 旅人が薪を集めて暖をとるように、
 財や地位という形式の薪も、一瞬の暖にすぎず、
 永遠ではないことに気づく。
 生きることに何が幸せかという
 客観的な基準はないのかもしれないけれど、
 最期だけは、
 自分に打ち勝ったよろこびを胸に、
 満足して目を閉じる人生でありたい。
 そこに「寂しさのはてなむ国」があると思う。

 孤独になってしまった彼女が、
 自分自身との戦いに勝利し、
 苦に打ち勝った思い出の一つひとつを薪として、
 こころ温まる常楽我浄の世界へ
 安住できるよう
 これからも九州の地から祈りつづけたい。

 

みずすまし10号(平成23年9月3日発行)

 

みずすまし10号表紙

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