正法事門法華宗

さらりと生きる

東日本大震災から三年目を迎えた。
まだ福島原発の廃炉工程への安全性は見えないが、
被災地は少しずつ復興が進み、
家々にも柔らかい光が射し込めている。
一瞬の時が人生を狂わせたというのに、
もうなにもしないよという顔をして
静かにひた寄せる波の上に、
桜の枝が伸びている。
まもなく青い海を背景に花びらが舞い散るだろう。
こんな小春日和には、
あの日の出来事が信じられない。

さようならと無情の風に散る花びら、
わずかに残る花びらもいずれ散り行き、
枝先に新緑の若芽が顔をのぞかせる。
めぐり来る春夏秋冬に、
いのちの生死が繰りかえされる。
それが人生かもしれない。
人間はある程度、
無常観をもって生きた方がいいのかもしれない。
哀しみの感傷にそらされてしまうのではなく、
おおらかな気持ちで生きていくということ。
無常という地上の鉄則にゆるやかにしたがい、
軽く身を委ねながら毎日を過ごせたらいい。
「あきらめる」という言葉は
「明らかに見る」から起こったという。
さらりと物事を考えられるようになったら
ほんとうの大人になったとき。
強くにぎりすぎれば、
手を振り切られたときの哀しみが大きくなる。

わたしは三度インドを訪問したことがある。
焼けるような暑さに、
感染症で亡くなる人も大勢いて、
その上カースト制度がある。
最下層の人々は職業選択の自由もなく、
鼻であしらわれ、
虐(しいた)げられたまま一生を終わる人も少なくない。
そして一番厄介なのが河川の氾濫。
最初に行った一九九九年はガンジス河があふれて、
村人たちが田畑の修復工事をしているときだった。
建設機械はなくすべて人力だった。
はげしいスコールは田畑や村まで軽く押しながす。
かけがえのない家族のいのちが奪われても
悲しみに沈んでいる暇などない。
村人は鋤(すき)をにぎって泥を除ける。
インド人はそれを先祖伝来、
数千年にわたって繰り返してきた。
彼らの信仰は生きる不安、せつなさの反映であった。

この無常観ただよう社会にあって、
仏陀は生老病死の四苦の解決にいどまれた。
悲しみや苦しみを乗り越える道は、
己の心につづいていることを悟られた。
好きな経文の一節がある。
「其(そ)の心禅寂(ぜん じゃく)にして、
常に三昧(さん まい)に在(あ)って、
恬安憺怕(てん なん たん ぱく)に無為無欲(む い む よく)なり。
顚倒乱想(てん どう らん そう)、復入(また い)ることを得ず。
静寂清澄(じょう じゃく しょう ちょう)に志玄虚漠(し げん こ まく)なり」
心がどっしりと落ち着いて、
いろいろなことに動揺せず、
さらさらと澄み切り、
無欲、乱心など入り込む余地もなく、
いつも眼は自分の心に向かっているということ。
これはわたしの座右の銘だ。

本誌十三号で紹介した彼女は、
津波でお母さんを失ったが、
災害救助犬訓練所に入所して三年目のこの春、
ようやく成人式をむかえた。
いま、訓練士補をめざしているが、
いろんな失敗もつづいていささか不安を感じている。
「勝負ははじまったばかり。
苦と楽はワンセット。
どこに原因があったのか、
これから自分はどうありたいのか、
そのためにはどうすればいいかを考えなさい」
少しアドバイスをした。
引きずっていてもなにも変わらない。
さらりと気持ちを切り換え、
努力してこそ道はひらかれる。
苦しいことも一度突き抜けてしまえば
あとは楽になり、
ゴールしたときの嬉しさが次のゴールへと誘う。
気持ちを切り換えながら、
一段一段のぼっていくのみなのである。

人生にはいろんな試練がある。
おだやかに生きることを望んでも、
地上にはおだやかならぬ要素がある。
病気のこと、事故のこと、仕事のこと、
子育てのこと、家族のことなど、
だれもが毎日つらい戦いをしているけれど、
心地いい生活は自分でつくる以外にない。
好きな遊びで癒やされても、
それは一時のこと。
くよくよ自分をいじめる前に
自分の悪いクセを直したい。
世の中にはいろんな人がいるけれど、
相手は変えられない。
苦しみにぶつかってみて自分がわかる。
これはわたしのわがままではないか、
相手のことを思いやっているか、
きちんと気持ちを伝えたか、
静かに反省してみることが大切。
心を静めて自分を見つめ、
気分を切り換えていくしか道はない。
ほとんどのことは修正可能。
寒に打たれて甘くなる蜜柑のように、
つらいことが自分を成熟させていく。

今年の成人式のとき、
二十になった青年がいいことを言った。
「ボクの好きな言葉は『恬安淡怕』という言葉です。
これは気にしないというより、
受け入れるということだと思います」
さらさらと生きるということを、
彼は受け入れるという意味に変えた。
二歳にもならないときにお父さんを病気で失い、
父の愛を知らずに育ってきたというのに、
「エブリシング、オーケー」
わずか二十年を生きたばかりなのに、
これを座右の銘としているという。
おそらく体験から生まれた信条にちがいない。
お父さんの喜ぶ顔が浮かんできた。

人生にはいろんな苦しみが待っていて、
毎日つらい戦いがつづくけれど、
幸せの道は自分の心へつづいている。
心地いい生活は自分でつくる以外にない。
さらりとした境地は、
気分を切り換えることでつくられる。
被災地の成人式では家族や友人の遺影を胸に、
たくさんの若者たちが真白い帆をあげた。
荒波が襲うこともあり、
暗礁に乗り上げることもあるけれど、
すべてを試練と受け止めて、
深い悲しみに流した涙のぶんだけ、
幸せになってもらいたい。
石けんの匂いがする大人になってほしい。

 

みずすまし20号(平成26年3月3日発行)

 

みずすまし20号表紙

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