正法事門法華宗

心をつなぎ合う

東日本大震災から二年が過ぎた。
ようやく復興の途についたが、
家を流され、
家族をなくし、
仕事を失った被災者――。
深く突き刺さった痛恨の記憶は、
大勢の人の明日を奪った。
明日に向かって
心の針を進めている人がどれほどいるのだろう。
時は未来に流れても、
流れない「時」があることを知った。

福島で酪農を営んでいたある夫婦がいた。
暮らしは楽ではなかったが、
子どもたちの成長を楽しみに働いていた。
そこへあの原発事故。
父親は心を病んで命を断った。
夫の死後、奥さんは
八歳の長男と六歳の次男と一緒に、
遠く離れたアパートに避難した。
次男は喘息がちで、
治療費が生活に重くのしかかってきた。
「原発事故がなければ夫は生きていた」
「私の心は今も重い」
と告訴に踏み切った。
裁判に勝ったとしても、
なぜ自分だけが?
なぜ家族を残して逝ったのか?
葛藤は果てしなくつづくにちがいない。

母親を津波で失った女子高生も、
将来を悲観して命を絶とうとしていた。
就職のこと、
生活のこと、
見つからないお母さんの遺体のこと、
不安と悲しみがのしかかり、
楽になりたいとメールで泣いた。
励ましつづけて、
やっと悲しみから立ち直り、
今年成人式を迎えた。
でも、心の傷はまだ癒えてはいない。

人は誰しも、
傷を抱えながら生きている。
消したくても消せない心の傷は
鋭利なガラスの破片のように胸をえぐる。
つらかったことは忘れようと、
つとめて明るく振る舞う人もいる。
気を紛らわせて仕事に打ち込む人もいる。
でも、心は他人には見えない。
心の針を進められない人は、
過去の出来事ばかりではない。
いじめ、虐待、障害、事故、犯罪等々、
今この瞬間も、
絶望の闇に追い込まれている人がいる。
人の気持ちは見えないのだから、
表面だけをあげつらう言動は慎みたい。
軽はずみな言葉は
傷の上に傷を負わせることになる。

心をつなぎ合う――。
これが今回の本誌のテーマ。
響きはとてもいいが、
これが意外とむずかしい。
やさしさが仇になり、
善意が裏切られることもある。
心をつなぐ社会にしたいが、
手をつなぐことはできても、
心をつなぎ合うことはむずかしい。
かろうじてつなげるのは
親と子のきずなだろうが、
親殺し、子殺しも頻発している。
しかし、
もともと人の心はつながっている。
困っている人を見ると助けたいと思う心、
笑い顔を見るとほほえましくなる心、
人間には本来、
仏性という美しい心が宿っている。

自分の存在感は、
人のために生きることで確信できる。
大きなことはできなくても、
まず心がけたいことは、
自分と同じように相手を視ようとすることだ。
自分が言ってほしいことを伝え、
相手がしてほしいことをしてあげよう。
家族の挨拶は「おはよう」で始め、
「おやすみ」で終わらせよう。
何かをしてもらったら「ありがとう」、
迷惑をかけたら、「ごめんね」と謝ろう。
電車やバスの中では、
お年寄りに「どうぞ」と席を譲ろう。
思いやりの心を、
親から子ども、孫へとつなぐとともに、
隣人から隣人へと広げていこう。
心をつなぐ社会は一人ひとりが、
自分と同じように相手を視ることから始まる。
人間は強そうに見えて弱い。
人間は一人では生きられない。
あたたかい社会になれば、
希望の針を進められるだろう。

新緑の向こうに見える青空。
悠然とながれる雲。
あの空は大地や海とつながっている。
気圏、地圏、水圏を通じて
互いに結びつきながら、
地球は数十億年もの間、回りつづけてきた。
地上に存在するものもすべて、
つながり合って存在している。
今日を生きていけるのも、
寄せ木細工のように、
多くの人々との
組み合わせによって生きているからだ。

この一千五百年間、
日本は仏教国として歴史を刻んできた。
最初は貴族仏教から始まり、
鎌倉期からは大衆仏教となり、
祖師と呼ばれる名僧先駆者が現れ、
慈悲と智慧によって民衆の心をつなぎ、
政治権力にも堂々と立ち向かった。
けれども、
江戸時代以来、葬儀仏教となってから、
現実の政治に対して無力になり、
苦の民衆救済の原点は忘れ去られた。
現代文明という魔物は、
この地上を競争社会に追い込み、
人間の心を食べまくり、
他者を思いやる心を置き去りにしてきた。
この流れを変えることはむずかしいが、
そこに傷つき、置き去りにされた人々を
ケアする場がほしい。
そこに寺の役割があるとわたしは考えている。

国内の小・中学校は約三万二千。
コンビニエンスストアは約四万。
ガソリンスタンドは約五万。
お寺は約七万五千カ寺。
平均して、
一県当たり約一千六百の寺があることになる。
この数字は半端ではない。
僧侶が亡くなった人を慰め、
遺族の悲しみに寄り添うことは大切としても、
今、伝統仏教は生苦の問題に対処しなければならない。
傷を癒してくれる人、
苦しみ、悲しみから救ってくれる場、
心の問題に丁寧に対処し、
解決の方策をさぐるうちに、
心が通じ合い、
いのちの核心となる問題、
人間存在の究極の問題が姿を現す。
一千六百の寺が檀家の枠組みを越えて
地域に安心感を供給するオアシスになれば、
社会は希望の針を進めることができる。

この二十五年わたしは、
さまざまな社会活動をしつづけてきた。
悩みを抱えて訪れる人々を励まし、
時には寺に預かった人々もおられるが、
すでに亡くなった人もおられる。
思い出せば在りし日の笑顔が蘇ってくる。
これからもわたしは寺を再生支援システムとして、
心をつなぎ合う基地として機能させていきたい。

 

みずすまし17号(平成25年6月3日発行)

 

みずすまし17号表紙

**********************************************************************
 「みずすまし」は、お釈迦様が残された教えによって、現代を生きる皆さま
の心に一服の癒しを感じていただけるような読み物をめざしています。
 電車内やちょっとした待ち時間などに気軽にご愛読ください。

 ご購読希望の方は、みずすまし舎までお問い合わせください。

 図書出版 みずすまし舎 福岡092-671-9656
 「みずすまし」年4回発行(3月・6月・9月・12月)定価300円(送料実費)
 

 ☆年間購読のごあんない
 「みずすまし」は年間購読をおすすめしています。お気軽に上記みずすまし舎にお問い合わせください。