正法事門法華宗

怒りをコントロールする

周囲には怒りたくなる材料がゴロゴロ転がっている。
政治のこと、会社のこと、家族や知人に至るまで、
腹立たしいことがたくさんある。
善意で精いっぱいにがんばってみたところで、
評価もされず、
認めてももらえず、
蔑視されることだってある。
それを我慢するのは苦しい。
怒りをぶちまけてしまえばいいと語る人もいる。
吐き出せば心は収まるかもしれない。
喧嘩になってもいいから言って、
それで通るならいいが、
ますます悪く誤解され、
取り返しがつかない事態になり、
ひとりぼっちになることもある。
イヤな空気にしたくないこともあって、
勇気が出ないこともある。
やさしい善の心と許せないと考える悪の心。
その二つがバトルを繰り返しながら疲れ果て、
しだいに冷めていくのが人生なのかもしれない。

最近の脳科学では、
怒りは威嚇のようにみえて、
一種の防衛本能とも考えている。
脳には人間の本能を司る脳と、
それを抑える理性的な脳の両面の機能があり、
本能を司る脳は早くに完成し、
理性を司る脳は後からできたものらしい。
怒りという感情は本能に近いから、
理性的な脳よりも衝動的に早く反応するらしい。
だが、そんな研究を極め尽くした脳科学者でも、
怒らないということはあり得ない。
世の処し方、人との付き合い方など、
テクニック的な内容の書籍も少なくないが、
そんな著者だってかんしゃく玉を破裂させたり、
憎んだりしているのが日常だろう。
どんな聖人君子でも、
イラッとしたり、ムカついたり、キレる。
敵対ということになると、
マジキレ、ブチギレ、逆ギレする動物なのである。

ただ、確かなことがある。
大声で怒鳴っても気に食わない状況が好転するわけではない。
むしろ怒りの感情はあまり良い結果をもたらさず、
一番厄介なのは健康を損ねることだ。
怒る頻度の多い人間は血糖値が上がり、
血液は汚れ、血圧も上がる。
その常習性で脳梗塞、心筋梗塞にかかり、
そのまま棺桶ということにもなりかねない。
だいたい正しいことを言う者が早死にし、
邪な人間が長生きするといわれているが、
それでは割に合わないではないか。

長命で充実した人生を送るために、
大きく分けて次の四つが大切だと考えている。

 〇 受けとめ方を変えること。
 〇 考え癖を変えること。
 〇 気分を変えること。
 〇 悔しいなら立ち上がること。

まず受けとめ方によって発生する感情は異なる。
悪いことやイヤなことが起こった場合、
大きく動揺してしまう人もいれば、
平然としていられる人もいる。
人間にはいろんな性格の人がいるのだから、
生きている以上はイヤなこともあり、
いけ好かない奴もいるさとサラリと受け流す。
物事に過剰に反応しないことである。
大きく問題化しない受けとめ方ができればいい。

第二に、考え癖を変えたい。 
理屈どおりに人間の心は動かないのだから、
原因を究明したり、
責任の所在を突き止めたからといって、
たいした意味もない。
イヤな感情の尾を長く引きずる癖も治したい。
正義感や劣等感が強すぎると、
イヤな感情はますますふくらんでしまう。
世の中にはどうにもならないことがある。
悪い方向へ陥る思考回路の癖を変えたい。

第三には気分を変えたい。
人間は悪いことがあれば悪い気分にはまってしまい、
いいことがあればいい気分で過ごせるのだから、
カラオケでも、酒でも、サウナでも、
ボクシングでもいいから、
自分なりのストレス解消方法で、
心の空気を入れ替えられたらいい。

第四には腹がたつなら、
腹をたたせる相手が脱帽するようなことをやってみせたい。
腹がたつときこそ、
己に埋蔵されている力が引き出されるチャンスなのである。
敵対する相手もなく、
困難な条件もなく、
のんべんだらりと暮らすことができるならば、
己に宿っている偉大な力は発現しない。
強く投げつけられれば投げつけられるほど
大きくバウンドするボールのように、
負けん気で困難と逆境に立ち向かうとき、
内在する力が一斉に芽吹き、
相手が膝まづくこともある。
これは気分爽快である。

気持ちのよい時に、
気持ちのよい相手に、
気持ちよい仕事に、
楽しい心持ちで接することは誰にでもできる。
しかし、ばかにされたり、反対されたり、
悪く言われたりするときに心乱さず、
柔和を失うことなく、
平静を保ち得る者はいつか相手を支配する。
まず、われわれは己を征服して「国王」となり、
周囲の尊信を勝ち得て「大国の王」となることができる。
寿命長遠と柔和忍辱、
慈悲と智慧を説く仏教の価値はそこにある。

誰でも笑って暮らしたいが、
そうさせない何かが心にいる。
怒るとき、いったい何者が己を操作しているのか。
己を苦しませる本体を消滅する修行――。
釈尊の悟りは悪い感情を起こす心の本体に迫り、
それを教化する法の会得にあった。
その自己観察のために常に瞑想を心がけ、
心の動きを徹底的に究明して、
諸苦の原因を感情に発見された。
人間の内的世界は常に思考や感情が動く混沌の世界。
瞑想は醜い想念を断つための不可欠な修行であった。
光が閉ざされると地上は暗くなるように、
醜い想念が美しい想念を覆うのである。
釈尊は智慧の光で心の王国を照らし、
仏性を顕現されたのであった。

しかし凡人、怒りをコントロールするのは容易ではない。
一時のストレス解消をしても、
腹がたつときは腹がたつし、
自分の悪いところを棚に上げても、
相手を罵りたくなるのは人情である。
そんなときはお経を唱えてみればいい。
お経には感情をコントロールしてくれる経力というものがある。
休養を取ることによって身体の傷が癒えるように、
読経は私たちの心をなだめ、心地よくさせ、
不調和を調和の方向へ導いてくれる。
宇宙から生まれた祈りの音声は脳の松果体を振動させ、
脳内ホルモンを放出し、
ストレスで傷ついた遺伝子の分子構造を修復するのである。
完全に怒りを消し去ることはできないとしても、
お経は気持ちを楽にさせたり、
気分を落ちつかせる不思議な力がある。

もう少し簡単にできる方法――。
キレそうになったら、ゆっくり十数えてみよう。
「一、二、三、四……」
数えている間に悪感情を起こす脳のスピードがゆるみ、
怒りの対象に対して冷静な行動を取ることができる。
理性を司る脳が反応するまで時間を稼ぐという方法であるが、
これは禅定という修行に似ている。
ゆっくり数えるうちに、
新しい脳が衝動的に反応する古い脳を抑える。
他人の性格を変えることはむずかしいのだから、
自分が変わるしかない。
それができなければ、
老いるまで待つ以外にない。
若いときは毎度瞬間的に怒りが込み上げるが、
年をとればその反応もスローになる。
焦る必要はない。
そのうち自分もふくめて、
不可解な人の世も受け入れるときがやって来ることもあれば、
笑って許せる思い出の一コマに加わっていくこともある。
病を引き起こすような怒りは損。
正義感から起こる怒りも逆効果。
叱っても怒るな。
笑って諭す離れ技をやってのけよ。
筆者曰く。
「賢者は笑顔で人を動かす」

 

みずすまし16号(平成25年3月3日発行)

 

みずすまし15号表紙

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