「いのち」のぬくもり

娘たちが独立し、
妻と小犬のエディとの暮らしが始まった。
エディは真っ白な4歳のマルチーズ。
わが家で初めての室内犬である。

先代犬のタローは屋外で飼っていたが、
寒い冬に亡くなった。
病気になってからは食欲がなくなり
家の中で看取れなかった無念さが残った。
いのちの尊さ、厳粛さを考えさせられた。

エディはとても聞き分けがいい。
「ちょっと出かけてくるから、おりこうにしていてね」
夫婦で外出するときなど、そう声をかけると、
あきらめたように自分のマットの上にもどる。
少し長い旅のときはペットホテルに預ける。
「三日間だけ、しんぼうだよ」
わかったのかどうか、
少しさみしそうにキャリーバッグに入る。
夜は妻のベッドの上で寝る。
朝が来ると、わたしの部屋の戸を叩く。
叩くといってもノックではなく、
爪でガサガサと戸を掻いて合図をする。
戸を開けると足にまつわりついてくる。
抱っこしてベッドにもどると、
わたしの身体にぴったりと身を寄せてくる。
彼は甘えん坊らしい。
いつか彼が死んだら、
私はペットロスになりはしないかと、
不安にさせられる。

ペットだけではない。
わたしたちの暮らしは「いのち」に囲まれている。
外に出ると緑の樹木があり、
空を鳥が飛んでいく。
たしかに人間関係は疲れることも多いが、
周囲に「いのち」がない人生は考えられない。
コンクリートの建物とアスファルトの道路だけではさみしい。
いのちのぬくもりが心を癒してくれる。

先日、都内でおこなわれたミニ講演の後、
フリートークで、ある女性のエピソードを聞いた。
彼女は母親からずっと嫌われてきたと涙ながらに語った。
その感情には憎しみも交じっていた。
横にいたカウンセラーの先生が励ました。
「でも、感情に出せるようになってよかったじゃない」

抑えていた気持ちを言葉に出せるようになったのは、
たしかに成長の証しである。
でも、次のステップは母親と話し合うことである。
話し合うきっかけをつかむことはむずかしいだろうし、
「いまさら」という気持ちもどこかにあって、
断絶のままに終わるのも、仕方がないことかもしれない。
たとえ数十年前の出来事であっても、
つらい思い出はガラスの破片で胸をえぐられるような、
生き地獄がつづくのである。
過ぎたことのようにみえて心のオリとして蓄積している。
アドバイスを求められた。
「できることなら、お母さんと話し合いたいね。
勇気を出してぶつけてごらんなさい」
帰る時間が迫っていたので、
十分なアドバイスはできなかったが、
いまも彼女のことが頭の隅に残っている。

どんな人にも、腹を痛めて産んだ我が子を想う気持ちはある。
話し合えば、母親の悲しい生い立ちに気づけるかもしれない。
それを知れば許す気持ちも生まれるだろう。
たとえ解決できなかったとしても、
なんらかの着地点が見つかる。
枯れたかに見える愛情の奥にも伏流水はある。
どんな人にも根底にはいのちのぬくもりがある。

この原稿が終わると、エディが甘えてきた。
外に出たそうな仕草をしている。
「お外に行きたい?」
戸を開けてやると
カチャカチャと爪でタップダンスをするように
勢いよくフローリングを飛び出していった。

みずすまし44号(令和2年3月3日発行)

みずすまし44号表紙

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