おさらばの準備

「おさらばの準備」とは縁起でもない。
陰気臭いことは考えたくもないし、
考える暇もないほど忙しい。
だが、考えさせられる時もやって来る。
かけがえのない家族の死、
死を意識するような大病、
あるいは高齢になってから、
この世とおさらばする時のことを考えさせられる。
ブッダは「生の領土」、「死の領土」と分けておられる。
背中合わせにいることを念頭に置き、
後悔のない日々を過ごすよう教えられている。

二つの古言がある。
「立つ鳥跡を濁さず」
「後は野となれ山となれ」
立ち去る者は、
自分のいた場所をきれいにして去るべきだというのが前者。
やれるだけのことはやったのだから、
あとはどうなろうと知ったことではないというのが後者。
矛盾するように見えるが、
きれいに片をつけてあげても、
残された者によってどうにでも変わる。
自分は自分、
子孫は子孫。
どうにでもなれというのは無責任だろうが、
先祖になってしまえば仕方がない。
諦めるのも、
仏教でいう無執着の境地かもしれない。

西郷隆盛は「児孫(じ そん)のために美田(び でん)を買わず」と言った。
「児孫」とは子孫。
「美田」とは土地が肥え、作物がよくとれる田地。
よい田地を買うなどして財産を残せば、
子孫は仕事もせずにのんきな生活を送る。
かえって子孫のためにはよくない。
西郷は財産を残さなかった。

なまじ財産があると、
相続問題で家族が対立することもある。
ない方がいい。
あのクシナガラの沙羅林の下で亡くなったブッダは
着替えの衣だけが財産であった。
マハトマ・ガンジーはメガネと万年筆。
マザー・テレサも祭服だけを残し、
心だけを持って従容(しょうよう)と死地に赴いた。

ブッダは王城、財宝を捨てて出家し、
「法」を残された。
「法宝(ほう ぼう)」という。
この宝は現代にも輝きを放っている。
沙羅双樹の下での最期の遺訓がある。
「諸人(もろ びと)よ、心せよ。
万物は無常である。
努力精進(しょうじん)して生死を解脱(げ だつ)せよ」
(人びとよ、別れの時がやって来た。
万物は無常の世に生きていることを忘れてはならない。
生死を離れるよう修行に努めなさい)
形あるものはいずれ変化し、滅していく。
生死というのも肉体の現象にすぎない。
あの世には心だけを持って行く。
永遠安住に到る、
心の宝を得る修行に精進するよう遺言を残されている。

人間は財を残し、罪だけを持って逝く。
争いの種をこの世に残して、
汚れた魂であの世をさまよう。
己を粉飾して他を欺(あざむ)く欺瞞(ぎ まん)、
おごり高ぶる高慢(こう まん)、
怒りや欲望の激情、
ブッダの眼は心に注がれていた。
物質的な形式ではなく、ただ心。
生と死は意識でつながっている、
意識は不滅、
「業(ごう)」が来世を決めるとして、
価値ある生き方を教えられた。
死んだらみんな無になるというわけではない。
哀しみや執着のあまりに無に帰れず、
この世を迷う霊魂もいる。

先に逝く者にとって、
残される者のことを案じるのは自然かもしれない。
あとを濁さず、
美しく終焉を飾りたいのも自然の感情。

だが、人生の価値は何を持ったかではなく、
どう生きたかにある。
人は修行のために、
この世に投げ出されたのである。
大切なことは、
「反省」と「感謝」と「思いやり」、
そして「足るを知る心」である。
この四つは真理の流れ。
自分という存在、
生かされている全体の場、
そして未来のことをふくめて考える流れである。
私は父より四年も長生きさせてもらった。
もう、じたばたすることもない。
子どもたちにも迷惑や負担を感じさせたくない。
為(な)すべきことを為(な)し、
時期が来たら従容とこの世を去る。
――あすありと思う心のあだ桜 夜わに嵐の吹かぬものかは
旅衣を整えて、今日一日を生きる。

みずすまし34号(平成29年9月3日発行)

 

みずすまし34号表紙

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